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小松さんの仮説は、音楽を含めた外界からのものを感受する出入り口であるチャクラが7つから成っていることと、特定の感情を刺激する普遍性を持った和音が作り出す音階が7つの音からなっていることに、何らかの関連があるんじゃないかという気づき、が発端になってるようだった。
 
確かに、チャクラと体の部位との相関の意味づけははっきりしないが、そういった概念が昔から存在するということ、一方ドレミファソラシの7音から成る規則性のある一定の和音が感情に作用し、またその組み合わせによって起承転結の物語的な音階として成立し、そこに生じさせる感情の特性に普遍性があるということ
 
もっというと、精神的な意味での入り口であるチャクラから入力されるサウンドという情報を、”普遍的な感情”として感受し得る身体という存在、これは偶然とは言えないかもしれない。音表象、もそういったものの一部である可能性もある。
 
 
さらに、小松さん曰く「巷に流れているポップスは、ほぼ全て、このありきたりな感情を刺激する和音でのみ成り立っている」と。
 
そして、”もしかすると我々現代人は、ポップス的な和音、感情を刺激する規則的な振動の組み合わせによって、ややありきたりな感情の惹起を強いられ続けてしまっているのではないか”と。
 
確かに、なんとなく巷に存在するポップスやロックというものに、我々は物足りなさを感じる時がある。
これは、才能ある作り手の感情の発露の赴くままの和音的な音楽という物語にドミナントされてしまうことへの違和感であるという可能性は十分あるのではないか。
 
 
 
しかし、彼らが表現するノイズミュージックは、少なくとも和音による表現ではなく、そういう意味ではアプローチが全く異なる。
 
例えば、インドやアラブ系といった異国の音階を聴いたとき、我々の感情は刺激されやすい。遊牧民的な音階、アイヌムックリなんてたぶん音域とか狭いにもかかわらず、得も言われぬ郷愁を覚えたりする。
 
支配的な感情表現を惹起させるのみではなく、精神のより曖昧な別天地を刺激する音階、音
 
 
ニューウェーブもそこらへんが違うのかどうかはわからないが、違和感を感じつつも高揚する音楽、共鳴する相手を選ぶこともある選択性(自分の勝手なイメージだが)、そういった特性も含め、ノイズやニューウェーブの非和音的な特殊性が、音楽のジャンルの差異という面において何か大きな意味を持つのではないか、なんて気がしてきました