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立春コニャンニャンショー 2016/2/7(金)
田島ハルコさん主催のあの伝説のイベント、新春コニャンニャンショーから一ヶ月もたたずして早くも待望の続編が帰ってきた……
武蔵小山スタジオハコスにて、おかしもジュースも飲み放題という最高のおもてなしの中、コニャイベ2が、幕をあける……!
入り口の看板
………最高…
スタジオハコスの中のようす
第一部はニューウェーブカス動画祭PART2
前回絶賛大好評となったニューウェーブカス動画祭の続編だ!
メンバーは
ハルコさん
ニューウェーブ音楽家の小川さん
ニューウェーブに造詣の深いヤミニさん
そして今回は新たにKCD_HRAKさん(PRE//SILENTNOISE主宰者。RECORDer編集長。)
を迎え、さらにディープなカス動画祭となった。
はい、しかし、到着したときには既に開始15分…毎度の遅刻。。
話題は、ニューウェーブの歴史的背景に及んでいた。
入室して、すぐの小川さんの発言
「パンクが出てきた1976年。セックスピストルらパンクには政
……ポジパン??よくわからない…
というか、そもそもニューウェーブが何かすらよくわかってないんだった…
ウィキペディアをみるもよくわからん…
http://ongakuiroiro.doorblog.jp/archives/cat_1188350.html
おっ、ニューウェーブの概念的な説明がちょっとあるな
「パンクはそれまでの因習や音楽のシステムを壊して、若い人達は何をやってもいいんだと気づいて、ここからパンクに触発された自分の表現をやろうということでいろいろな事をやり始めたのがニューウェーブである。サウンドスタイルで括るとなんでこれとこれが同じなの?ということになるが、パンクの影響で解放されて自分の音楽をやりはじめた雰囲気というか気分がニューウェーブというジャンルを形作っている。」とある。
パンクからニューウェーブの動きをもっともよく表しているのが、セックスピストルズのボーカルであったジョニーロットンが本名のジョンライドンに戻って結成したのがパブリック・イメージ・リミテッド(Public Image Ltd)
めっちゃいいな…。セックスピストルズ……ジョン・ライドン…めっちゃきいたころあるけど、全然知らない……やばい?? だって知らないんだもん。 てか、なんか、顔も歌い方もめちゃくちゃマシュ・べラミー(MUSE)だな…
あっ、というか、日本のニューウェーブバンドって誰なんだろか
ウィキによれば
YMO、ヒカシュー、P-MODEL、ムーンライダース、オート・モッド、Phew、プラスチックス、有頂天、電気グルーブ、シーナ&ザ・ロケッツ、ヤプーズ(戸川純)、町田町蔵、BUCK-TICK、
<後継者>POLYSICS、SUPERCAR、VOLA&ORIENTAL MACHINE、ロマンポルシェ、BEATCRUSADER、ZAZEN BOYS、一風堂、the telephones、藍坊主、アーバンギャルド、LArc~en~ciel
らしい。へ~~ 確かに”サウンドスタイルで括るとなんでこれとこれが同じなの?” 感ある。そしてニューウェーブってわりとメジャーどころなんじゃん…。てかおれニューウェーブ好きなんじゃん~
ポジパンについて調べてみたが、よくわからない。ただ、
http://ongakuiroiro.doorblog.jp/archives/cat_1188350.htmlにもあるように
ゴス(ゴシック・ロック)とポジティブパンクはだいたい同じ、みたいだ。
ゴシック・ロック(ゴスロック、ゴス)は、うぃきぺでぃあによるとイメージの通り、「暗いテーマと、ゴシック・ホラーやロマンチシズム、実存主義哲学やニヒリズムといった知的なものを扱う」音楽ジャンルのようだ。よくわからんね~……てか、そんな音楽あるのか??
とりあえずポジティブパンクはそれと同じらしいので、ポジパンは暗くて知的な音楽のようだ。それがなぜ、ポジパンと呼ばれるているのか、呼ばれるようになったのかというと、 ハードコアパンクがあまりにも破壊的で暴力的すぎてネガティブすぎたため、当時のイギリスの音楽誌がもっとポジティブな音楽を持ち上げようということで、ポジティブパンクというムーブメントをでっち上げたものであるらしい。この当時出てきたのは、化粧をし、耽美的な暗いロックをやっている人たちであり、歌詞を含めて彼らの音楽にポジティブな要素はないけど、でっち上げて無理やりなぜかポジパンと呼んだ。らしい。
これらのバンド・シーンに影響を受けたBUCK-TICK、X、筋肉少女帯、黒夢等が後に登場したが、これらのバンドの多くが本流のゴシック・ロックとはあえて異なる音楽的アプローチ(ヘヴィ・メタル、ビートロック、プログレなど)をとったことで、日本のゴシック・ロック受容は錯誤された。またこれらのバンドが(本人たちの思惑はさておき)ヴィジュアル系の元祖とも位置づけられる存在であったからか、「ゴシック・ロック」と「ヴィジュアル系」との混同を招くこととなった。「ポジティヴ・パンク」というあいまいな呼称をされたようなラフでダークなサウンドは、日本の歌謡曲など異質の要素を取り込んだ現行の「ヴィジュアル系」とは似ても似つかないものである
だそうです。
パンクから派生し、抑制された非政治的、内省的なニューウェーブでありながら、そこから派生したビジュアル系とも一線を画す、耽美的な暗い知的なロック がポジパン…?
よくわからなかったですねーすいませーん。
この話の流れで動画が紹介されていったので、たぶん次の曲がポジパンにわりと属してくるのだろう。
<一曲目>
BÖHM - Fried Tail
極楽蝶 (鬼狂門) 1986
(risaripaさん撮影)
田島ハルコさんの代表曲のひとつ「天丼」を勝手に貼っておきます。
四曲目にやった女の話題という新曲が個人的に激好きなので勝手にこれも…
シブカル祭の田島ハルコさん わりと長めな動画が最近ないんだな…
こうして立春コニャンニャンショーは大盛況の内に幕を閉じました!
新春コニャンニャンショー 2016/1/15(金)
Nervous Gender - Live At The Target
途中からじゃっかん放送禁止レベルのシーン
でも…めちゃくちゃかっこいい…!!
そして色んなヤバさを中和している?のかなんなのかわからないが
子供のドラマー…!!
田島さんが言うように、まさに、ただの、「野生の子供」!!!笑
そしてまたまた明らかにそこらへんにいそうな「野」な子供が窓から上半身出してドラムを叩く姿に阿佐ヶ谷LOFTは爆笑の渦に…!
だが、その後もムースみたいなのをお互いにかけあいまくるボーカル、(地味にかなり面白い髪型のベース)らが、車の周りで謎に”めちゃくちゃ楽しん”でおわった!なんじゃこりゃあ。。
だけどめちゃくちゃカッコいい!!
Die Egozentrischen 2 - Computerschlagzeug
Earth Dies Burning on New Wave Theatre 1982
自分は脳が溶けてるので、ニューウェーブの良さをどれだけ感じれているかどうかはわからないが、
今日動画を紹介してくださった先生方、出演者の方々は、歴史の小波をひょいとこえるぐらいのbig waveな方たち、鋭い嗅覚を持ったパイオニアな方たちなんだということはなんとなくカスな俺でもわかる。
わっ、わかるのー…!
や~ こんな貴重な体験をさせて頂き、お4方には本当に感謝の気持ちしかない。
本当にありがとうございましたっ!
最後に、どうしても頭から離れない(記憶消去されなかったっぽい)、
最高の爆笑動画をなんとなくはっておきます
Rettore - Kamikaze Rock'n'Roll Suicide (1982)
こういう生き方をしていきたい… …
次はコニャンニャン概論!! といきたいところだが、メモがカスすぎてどう書こう。 書けない…。
でもきっと大丈夫、メモがカスでも、記憶が消去されても、「内なる個人無意識や集団的無意識を駆使して、あとユングちゃんの本とか駆使すれば、自ずとわかるだろ!?…わかんないの!?わかんなかったら”大脳新皮質が腐ってる”ってことだよ!?」というメモが残されていたから(うそ)
あと、スーパーハルコ抽選会特典を引き寄せるためにこの時点で、(阿佐ヶ谷のいつも若干けちぃ)日本酒を7杯飲んでいたことを示す抽選券の証拠写真が残されていたので、消去されなくても消去されてたっぽい。(そして抽選券が9枚も手元に残されているのに特典が見つからないので当たらなかったっぽい……)
冗談はさておき、ユングの本でも読んで勉強しよーー
コニャンニャン概論にて。なれんのか!?球体 のシーン
にゃぷさんのライブ(南さん)
楽屋にて、にゃにゃんがぷーさんの代表曲、ニューもち太郎を歌う水野しずさん!
<そして水野しずさんのライブ、トーク>
なんかめっちゃ凄かった記憶はあるんですが…これもメモがカスで書けない…
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ファッションってなんでしょ
そこそこの時代や共同体に認められた価値を持つ装いと言ったらよいだろうか。そこには社会が認める、という強制力が必ずある。いつの時代にもどんな場所でもそうだろう。
だけど、今って、日本以外知らないけど、商業戦略に完全に乗せられて過剰に常なる変化をお互いに要求し合って、めまぐるしく変わる価値に窒息しそうになっている。
それに加えて、若者自体が明らかに体育会系化していることによるのだろうか、ファッションにおいて攻撃性という側面がかなり強くなっている気がする(臀部さんとリプして)。趣向やセンス、受け手のそれに応じてある程度は多様であるかもしれないけど、「おしゃれたるべき」、や「攻撃性」をもったファッションによる抑圧、には若いころは恐怖と嫌悪感しか自分は感じなかったし、今までも興味はわかなかった。これからもたぶん。今もぼろ布をかぶったような自分のファッションスタイルで満足している
だけど、一方では水野しずさんやコンノモモカさんのファッション?には逆に釘付けになってしまうほどの魅力がある。しずさんがaskで述べられてた「楽しく未知であり変化の可能性や浮遊感」のあるファッション、紺野さんの時空を歪ませるような波動のようなものすら感じてしまう 目の眩むそれに、ファッションというよりアートに、一般的なファッションに全く感受性も興味も持ち合わせていない人間がどうして強い魅力を感じてしまうのだろう。
もちろん自分のような人間には遥か次元の違う方々の想像力や感性を感得することは到底できないけれど、そこには「価値」の安定、つまり価値を守るということが根底にあるんじゃないだろうか。
つまりまず自分の感性をまず守りきるということ。それはつまり他のそれも守るということ。個の人権とかそんなんじゃなくて、感性とか孤独、そういうものが大事にされている時代には、物質的豊かさや政治形態を問わず、個が統合されたソーシャルとしてのファッションも、やはり良いものになるんじゃないか。アイヌとかインディアンのファッションとかってやっぱりかっこいい。個の延長には必然的に故人、その集合としての歴史が含まれる。良いものは時代を問わずやはり良い、過去を大事にするということ
逆に大衆的な時代においては、価値は不安定なものとなり画一的で刹那的なものとなるから、そういう時代に忌避されたもの、弾圧されてきたものに強い価値が凝縮される。
水平化の鎌に刈り取られることを断固拒否し、抑圧されたもの、なかったことにされてしまったものを守るために戦っている「ファッション」であるきがしてならない(でち)
はい、はい
あーだいぶ飲んだ~~ でち
今こそ村八分的発想を!?
宗教学たんさんが紹介してくれた池内恵氏のブログを読んで感じたことを綴ってみた。
が、全くニュースを見てない世に疎い自分がこんなこと言う資格は本来全くないのである。。
宗教学たんさんのおかげで、色々考えさせられました!ありがたや。。
意見を言う前に、まずはイスラームが何なのか勉強せねば、ですね。
これからもよろしくお願いいたします!
「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ - 中東・イスラーム学の風姿花伝
やっぱり本当に日本=「カネだけ」と思われているようだ笑。
世の情報に疎い自分は、池内先生の記事を読む前は、小泉君時代にイラク戦争に賛同したように、安倍政権がまた積極的破滅行動をしてるんだな、そりゃ拉致されたりするよなとか思っていたが、確かに以前から連綿と続く対中東戦略の一環だったのかもしれない。
なるほど、ではやはり、以前から続く欧米依存主義の日本に、凶暴なISISがついに噛み付いたのではないか。
池内先生は、日本人の村八分的発言をしている人達が主権国家の国民として物足りない、むしろ危険である様なニュアンスで語っているように感じるが、それではISISという主権集団の主権に喧嘩を吹っかけるような、アメリカやイスラエルの暴力が勝つ社会を肯定するような今までの日本の政治的立場は、そもそも公正な主権の行使と言えるのだろうか。
中国や、はたまた北朝鮮ごとき、の剥き出しの暴力から主権も守れない日本が
(だからこそストックホルム症候群的に集団的自衛権的なことに奔走してるのだと思いますが)、虎の威を借りて、というか虎の威に守ってもらうために、はるか遠くの主権に喧嘩を吹っかけてる場合じゃないと思うし、自分がISISだったら非常にムカつく気がする(笑)
むしろ「国際的な信用」という名の欧米依存主義に駆られている安倍政権を「特定の勢力の気分を害する政策をやればテロが起こるからやめろ」と批判するほうが、テロに巻き込まれるリスクが減る方向に作用するのではないでしょうか。
資本主義が機能しなくなり資源も枯渇してる非常にキナ臭い今の世界情勢においては、遅れてグローバル主義に目覚めてる場合ではなく(経済的にも軍事的にも)、今こそ日本人の村八分力を発揮するべきなのではないかなーと。
冷戦中は、世界の平和を!とかのんきな事を言わせてるほうがむしろ都合が良かった。今はもう、日本に地政学的価値はないし、経済も自らボロボロになって利用しがいもなくなってきて、日本を守る価値も無くなってきている。
自分の身は自分で守らなくちゃいけないし、いわんや、他国の争いごとに構っている場合ではたぶんない。
そもそも世界に平和とか言って自分を守ってほしいだけの偽善からは、腐臭しか漂ってこない。クソコラとかふざけて笑ってる国民。おそらく、生身の怒りが、苦しみが、世界が怖いのだ。だから、積極的平和主義とか言ってふざけるしかない。
イスラム原理主義に走った日本の若者や、生身の世界に身を置く人質となったジャーナリストの人達は、そんな日本の腐臭に嫌気が差して飛び出した人達なのかもしれない。